忍城跡
石田三成が水攻めに耐えた忍の浮城と水城公園散策
室町時代の文明年間に成田下総守顕泰によって築城。豊臣秀吉の関東平定の際には、石田光成の水攻めに耐えた「浮き城」として知られる。忍城御三階櫓は昭和63年に再建されたもの。内部は郷土博物館となっていて、最上階からは市内を一望。城内や郷土博物館を見学した後は、外堀を利用して作られた水城公園をのんびり散策してみよう。
城に歴史あり
天正十八年の小田原北条討伐で、石田三成の水攻めにも屈せず、小田原城開城後も最後まで持ちこたえた城。この忍城の開城をもって、関東の地における「中世」が終わりました。忍城は沼の中に浮かぶ水の城でしたが、現在では近くの水城公園が、当時の風景を忍ばせています。さきたま古墳群に近い方には、三成が築堤した石田堤が残ります。せっかく三成クンが太閤殿下の真似して水攻めを思いついたのに、忍城は陥落せず、逆に城方の忍びが堤に細工して決壊、三成クンの手勢に襲いかかり、数百名が溺死してしまいました。
- 住所:埼玉県行田市本丸17-23
- 電話番号:
- 営業時間:9:00〜16:30、月曜休(博物館)
オススメの時間: - 定休日:
- 料金:大人200円(博物館)
- カテゴリー:
- 駐車所: